人生を1回、投げかけたあとに残っていたもの
最近、自分の人生を一回落ち着いて考え直すフェーズに入った気がしています。
妻との関係もうまくいかず、お金も無くなる一方。
そんな人生が苦しすぎて苦しすぎて・・。
そんな中、女性に愛されたいと思いながら、そう思っているうちはうまくいかない、そんな自分ではダメだ、と否定し続けてきていました。
正直、それにかなり疲れてしまったんです。
「一旦落ち着いて、これからの人生をちゃんと考えよう」
そんな感覚はあるのに、現実ではお金の不安が強くなってきて、結局また「頑張らないと」に戻ってしまう。
体も正直で、首はずっとこっていて、目は重くて、常に眉間に力が入っている。
最近、眉間のや目の周りのシワが目立ってきたのも、そのせいかもしれません。
この数年、いろんなことが重なっていました。
妻の男関係があって、最近は、妻の誕生日を家族で祝おうという話にその日の朝にはなったのに、僕だけ参加できなかった。
無意識に目を逸らすために他の女性に意識が向き始めたけど、その人とも、もう会えなくなりそうだという話が入ってきました。
お金の不安もあります。
正直、「楽だった時はあったかな」と考えても、あまり思い出せません。
今回は、そんな僕がどん底の中で見つけた小さな希望について、正直に書いてみようと思います。
完璧じゃない、むしろボロボロな自分。
それでも、小さな希望を見つけて、前に進もうとしている今の姿を、ありのまま記録しておきたいんです。
そんな、理由や原因はいろいろあれど、同じように苦しみの中にいる人に、何かのヒントになれば嬉しいです。
積み重なった辛い現実
この数年、いろんなことが重なっていました。
女性に愛されたい自分を否定し続けてきた
女性に愛されたい。
そう思うことは、きっと普通のことだと思うんです。
でも、僕はそう思ってはいけない、そんな自分ではダメだ、と否定し続けてきました。
なぜかはよくわからないんです。
たぶん、幼少期からの刷り込みなのか、社会的な価値観なのか、「そんなこと思っちゃダメだ」という固定観念みたいなものがあって、自分の気持ちを押し殺してきました。
と、いうか、最初の頃は自覚すらありませんでした。
でも、夫婦関係が崩れて、原因を探っていくと、どうやら僕は女性に甘えたかったということに気づきました。
なので無意識に僕は女性に愛されていると認識できるように甘えたりしてきたんだと思いまます。
よく言われるのが、「第一印象はしっかりした人、優しい人」です。
そんな状態で付き合ったとして、蓋を開けてみたら全然違う人だった。
そりゃぁ妻にも嫌われますよね。
そこに気づいてから、もっとかっこいい大人にならないといけないと思ってきました。
でも、正直、かなり疲れてしまったんです。
「一旦落ち着いて、これからの人生をちゃんと考えよう」
そんな感覚はあるのに、現実ではお金の不安が強くなってきて、結局また「頑張らないと」に戻ってしまう。
この無限ループが、本当にキツい。
気持ちに余裕がないと、冷静に人生を見つめ直すこともできないんですよね。
体が正直に悲鳴をあげている
体も正直で、首はずっとこっていて、目は重くて、気づくと眉間に力が入っているんです。
鏡を見ると、最近、シワが目立ってきたのも、そのせいかもしれません。
「頑張らないと」「頑張らないと」って、ずっと自分を追い込んでいたんだと思います。
体は正直ですよね。
心が苦しいと、体も悲鳴をあげるんです。
首のこりも、目の重さも、眉間の力も、全部、僕の心の状態を表しているんだと思います。
本当は休んだ方がいいんだろうけど、「休んだら終わりだ」という恐怖もあって、なかなか休めませんでした。
楽だった時を思い出せない
この数年、いろんなことが重なっていました。
妻の不倫があって、最近は、妻の誕生日を家族で祝う場に、僕だけ呼ばれなかったんです。
仕事が終わったら合流しようという話になっていたのに、仕事が定時で終わった頃にはすでにご飯も終わってた。
これは、正直、ショックでした。
まぁずっと離婚したいと言われ続けてきたので、そりゃそうだよなとは思いますが、家族の一員として認められていない感覚。
自分の存在価値が否定されているような気持ちです。
将来どうなるんだろう、このままでいいんだろうか、という不安がいつも頭の片隅にあります。
正直、「楽だった時はあったかな」と考えても、あまり思い出せません。
一人の時間は、漫画を読むか、パソコンを触っていることが多い。
気を紛らわせているのか、何かを探しているのか、何かしら作業はしているのですが、自分でもよくわかりません。
ただ、何かしていないと、辛い現実に押しつぶされそうだったんだと思います。
我慢の限界がきた瞬間
少し前に、人生の辛さへの我慢の限界みたいなものがきました。
子どものスマホを壊してしまった
子どものスマホを、床に何度も投げつけて、壊してしまったんです。
今思えば、本当に最低なことをしてしまったと思います。
子どもには申し訳ないことをしました。
でも、その時は呼吸が浅くて、嫌な思考が止まらなくて、その思考を止められない自分に、さらに嫌気がさしていました。
もう、どうしていいかわからなかったんです。
自分をコントロールできない感覚。
これが、メンタルダウンの一歩手前だったのかもしれません。
「もう、なにもかもいいや」と思えた瞬間
そのとき、不思議と「もう、なにもかもいいや」と思えた瞬間がありました。
投げやりだったけど、同時に、少し静かでもあったんです。
これは、諦めとは少し違う感覚でした。
「頑張らなきゃ」「こうじゃないとダメだ」という思い込みが、一瞬だけ緩んだような感じ。
あとから振り返ると、この瞬間が、僕にとって小さな転機だったのかもしれません。
全部を手放したからこそ、見えてきたものがあったんです。
それでも残っていた小さな希望
そんな状態なのに、なぜか僕はサイトを作っていました。
「生きた証」を残したかった
たぶんあれは、「生きた証」みたいなものを残したかったんだと思います。
誰に見せるかより、自己満足でもいいから、自分の人生を可視化したかった。
「ここで終わりたくない」
「自分の存在を、何かの形で残したい」
そんな気持ちがあったんだと思います。
辛い状況の中でも、どこかで希望を捨てきれなかったんです。
サイトを作ることで、「僕はまだ、生きている」「僕には、まだできることがある」と、自分に証明したかったのかもしれません。
TikTok動画とサイトのヘッダーに感じた達成感
最近はTikTok用のショート動画を作って、作り終えたときに、少し達成感を感じました。
完璧な動画ではありません。
編集技術もまだまだです。
でも、「自分で作った」という事実が、小さな自信もなりました。
今日も、サイトのヘッダーを整えていて、「もっと綺麗にできるはずなのに、これが自分の限界なのかな」とモヤモヤしながらも、それでも、「なんか成長した気がする」と思えた瞬間がありました。
小さいけど、確かにあったんです。
完璧じゃない。
全然、理想には届いていない。
でも、確実に、少しずつ、前に進んでいる。
その小さな実感が、僕を支えてくれているんだと思います。
消えない「再開できるかもしれない」という感覚
自分の苦しさの根っこには、自信のなさと、枯渇感がある気がしています。
愛されたいのに、甘えたいのに、それを欲しがる自分を否定してきました。
マイナス思考を手放したいと思うし、生きる希望を保てる未来の選択肢が、なくなることが一番怖い。
それでも不思議と、「自分で自分の人生を再開できるかもしれない」という感覚が、完全には消えていないんです。
この感覚が、どこから来るのか、自分でもよくわかりません。
でも、確かにあるんです。
安心と、ワクワクがある一日。
お金に困らず、人生を楽しめている感覚。
そういう日が、増えていったらいいなと思っています。
人生を再開しようとしている、今
この記事を読んでくださった方に、どう思われるかは、正直わかりません。
「甘えてる」と思う人もいるかもしれないし、「頑張れ」と励ましてくれる人もいるかもしれません。
でも、僕は今、ここに正直な気持ちを書くことにしました。
完璧じゃない、むしろボロボロな自分。
それでも、小さな希望を見つけて、前に進もうとしている自分。
この場所に来た人に、「頑張っている人がいるんだな」と思ってもらえたらいい。
できれば、応援してもらえたら嬉しいです。
正解かどうかは、わからない。
うまく生きられているとも思っていません。
でも、苦しい中でも、もがくことはできている。
未来を信じてしまう自分も、まだいる。
言葉にしようとする頭も、たぶん、まだ動いている。
この場所は、人生を再開しようとしている、その記録になると思います。
完璧じゃなくていい。
今も苦しい。
でも、そこから少しずつ、抜け出していく。


